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ACPについて考える 〜人生の最終章をどう生きるか〜

[2025.06.08]

 

こんにちは、ホームケアクリニック麻生の井尻学見です。

訪問診療の現場で、最期の迎え方に悩むご家族や患者さんに多く出会います。そんな中で、自分らしい最期を迎えるために、あらかじめ意思を共有する大切さを感じました。本日は、「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」についてお話したいと思います。

 

ACPとは何か?

ACPとは「アドバンス・ケア・プランニング」の略で、「将来の医療やケアについて、本人が望む方針を前もって考え、周囲と話し合って共有しておくプロセス」のことを指します。


一言で言えば、「もしものとき」に備えて、自分の希望を整理し、信頼できる人たちと語り合い、記録に残しておくことです。

 

これは「延命治療をする・しない」といった単なる選択ではなく、「自分らしい生き方とは何か」「どこで過ごしたいか」「どんな医療を受けたいか」などを考える大切な対話です。

 

訪問診療の現場で感じるACPの重要性

私たちのクリニックでは、がんや慢性疾患など、人生の最終段階を迎えた方々と日々接しています。その中で強く感じるのは、ACPがしっかりと話し合われているご家庭ほど、ご本人もご家族も穏やかにその時間を過ごせるということです。

 

例えば、「自宅で最期を迎えたい」と望んでいた方が、事前にその意思を明確にしていたことで、病院への搬送を避け、自宅でご家族に囲まれて穏やかに旅立つことができたケースもあります。

 

一方で、お互い何となく話しづらくて一度も話したことのないご家族もいます。希望が共有されていなかったことで、いざというときに判断に迷います。また「こうしよう」と決めた決断も本当に本人のためだったのかと苦しむ場面も少なくありません。

 

自分らしい最期ってどうなんだろう

大事なことは、繰り返し「話し合い」「考える」ことです。
文書に残すことも大切ですが、それ以上に、家族や医療者と繰り返し対話することが不可欠です。人の気持ちは状況や環境によって変わります。体調や状況によって、「やっぱりこうしたい」と思うこともあるでしょう。

 

医療者でさえ、「自分が最期を迎えるときにどうしたいか」と考えた時に、シチュエーションによってこうしてほしいという思いはバラバラではないでしょうか。

 

交通事故で生死をさまよっているときは、蘇生してほしい?

回復した時に日常生活に復帰できる可能性がある場合は?

手足が欠損していたら?失明していたら?

病気になったときの治療はどうしたい?

がんだったら?パーキンソン病だったら?統合失調症だったら?

 

場合分けできないくらい多岐にわたります。

 

人生、何が起こるかわかりません。

思いがけなく命を落とすこともあるかも・・・

思いがけなく傷害が残ることもあるかも・・・

思っていたよりトラブルなく人生を終えられるかも・・・

 

だからこそ、ACPを考えることは一度きりの作業ではなく、継続的なプロセスとして捉える必要があります。

 

まずは「想像」から始めてみましょう

ACPというと難しく感じる方もいらっしゃるかもしれません。

 でも、始まりはとてもシンプルです。

「もし明日、急に意識を失ったら、自分はどんな治療を受けたいか?」
「どこで、誰と、どう過ごしたいか?」
「苦しまずに過ごすことが最優先か、それともできるだけ命を延ばすことか?」

 

こうした問いに、自分なりに答えてみること、そして、信頼する人と共有してみること、それが、ACPの第一歩です。

 

話題にしてみないとわからない家族の考え方、身近な人の新たな一面を見れるかもしれません。その通りだな、と思い、自分自身の考え方も変わるかもしれません。

健康な時の考え方と病弱になっている時の考え方、人生の最期が迫っている時の考え方は違うかもしれません。

ACPは「最期のための準備」ではなく、「今をどう生きるか」を考えるための対話でもあります。その人の人生観や価値観があらわれます。


私たち訪問診療チームも、患者さんやご家族がその人らしい人生を歩めるよう、ACPの支援に力を入れています。気になることがあれば、遠慮なくご相談ください。 一緒に、これからの時間をどう生きるか、考えていきましょう。

ホームケアクリニック麻生の井尻学見でした。

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